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横浜地方裁判所 昭和47年(ワ)1372号 判決 1978年5月11日

原告 因俊郎

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 川中修一

同 淡谷まり子

右四名訴訟復代理人弁護士 北沢孜

被告 神奈川県

右代表者知事 長洲一二

右指定代理人 保田藤男

同 岩崎英三

右訴訟代理人弁護士 山下卯吉

主文

一  被告は原告渡辺辰一郎及び原告矢萩信久に対し各金一〇万円及びこれに対する昭和四七年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告渡辺辰一郎及び原告矢萩信久のその余の請求並びに原告因俊郎及び原告木野利広の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告因俊郎と被告並びに原告木野利広と被告との間においては被告に生じた費用の各四分の一を原告因俊郎及び原告木野利広それぞれの負担とし、その余は各自の負担とし、原告渡辺辰一郎と被告並びに原告矢萩信久と被告との間においては同原告らに生じた費用の各三分の一を被告の負担とし、その余は各自の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告因俊郎に対し金五八万九一六〇円、原告渡辺辰一郎、原告木野利広及び原告矢萩信久に対し各金三六万円及びそれぞれこれに対する昭和四七年九月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは昭和四七年九月当時学生であり、同月六日神奈川県相模原市所在米軍相模原補給廠西門前における同補給廠からの米軍戦車装甲車の輸送に抗議する集会に参加した。

2  原告らを含む右集会に参加した学生約七〇名は、同日午後一一時四五分頃から神奈川県警察の強暴な弾圧に抗議するとして、右西門前を出発し相模原市富士見所在相模原警察署前交差点にかけて無届ジグザグデモを行い、このデモに約六〇〇各の群集が追随した。

3  神奈川県警察に所属する警察官である機動隊員約六〇名は、翌七日午前零時五分頃に至り右学生集団に対し規制を開始し、これを右群集から引き離して包囲し、その先頭を前記警察署方向に反転させ学生集団を中に挾んでその両側を警察官が併進する形態(両側併進規制)で、同所から南西に向け道路を直進し、国鉄相模線を越え相模原市上溝に入り、付近を一周して再び相模線を越え、その先往路と同一の帰路をたどって前記西門前に達し、ここで学生に対する右規制を解除した。この間の規制距離は約六キロメートルであり、その所要時間は約一時間四〇分であった。

4  原告因俊郎は右規制の際機動隊員から、頭部及び背部を手拳、警棒、楯ないし籠手で数十回にわたって殴打され、更に着用していたヘルメットを脱がされ、後頭部を警棒で数回殴打され失神し、よって背部打撲傷(背部一面)、後頭部裂傷(二か所)及び強度な脳震盪の傷害を負った。

5  原告渡辺辰一郎は右規制の際機動隊員から、着用していたヘルメットを脱がされ右腕部を右ヘルメット及び籠手で数回殴打され、更に「こいつは怪我してないな。三つ数えるうちに名前をいえ、いわないとぶつ。」と申向けられ、沈黙していたところ頭部を警棒で殴打され、よって全治一〇日間を要する右腕部打撲傷及び頭部裂傷の傷害を負った。

6  原告木野利広は右規制の際機動隊員から、着用していたヘルメットを脱がされ、頭部及び背部を警棒で何回も殴打され、更に路上に落ちた学生のヘルメットを被らされたところ又「ヘルメットをとれ。」といわれ、同時に頭部を楯で二、三回殴打され、よって全治二週間を要する頭部及び背部打撲傷並びに頭部裂傷(二か所)の傷害を負った。

7  原告矢萩信久は右規制の際機動隊員から、着用していたヘルメットを脱がされ、これを後方に激しく引っぱられたため、ヘルメットの紐で約五分間にわたり首を締めつけられ、更に額部、頸部、頭部及び背部を警棒、籠手ないし脱がされたヘルメットで何回も殴打され、よって全治二週間を要する頸部及び背部打撲傷並びに額部及び頸部裂傷の傷害を負った。

8  原告因は前記傷害の治療費として金三万五六〇〇円を支出し、今後も相当な治療費を要する見込みであり、更に頭部に受けた暴行のため脳波に異常が発生し、絶え間ない頭痛に襲われている。原告因の後遺症発生の可能性はきわめて高く、その不安は計り知れないものがあり、以上の精神的損害を慰藉するため金五〇万円が相当である。更に原告因は本訴提起に際し原告訴訟代理人に弁護士費用として右請求額合計の一割(金五万三五六〇円)を支払う旨合意した。原告渡辺、原告木野及び原告矢萩の受けた右暴行傷害に伴う精神的損害を慰藉するためそれぞれについて金三〇万円が相当である。更に右原告三名は本訴提起に際し原告訴訟代理人に弁護士費用として右請求額の二割(金六万円)をそれぞれ支払う旨合意した。

9  よって被告に対し国家賠償法一条一項に基づき、原告因は治療費金三万五六〇〇円、慰藉料金五〇万円、弁護士費用金五万三五六〇円、原告渡辺、原告木野及び原告矢萩はおのおの慰藉料金三〇万円、弁護士費用金六万円及びそれぞれこれに対する不法行為の日である昭和四七年九月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請原因に対する認否

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2の事実中学生約七〇名が昭和四七年九月六日午後一一時四五分頃から神奈川県相模原市所在米軍補給廠西門前を出発し相模原市富士見所在相模原警察署前交差点にかけて無届ジグザグデモを行い、このデモに約六〇〇名の群集が追随したことは認め、原告らが右学生中にいたことは知らない。

3  同3の事実は認める。

4  同4ないし7の各事実は否認する。

仮に原告らが負傷したとしても、これは学生集団が警察官と最初に接触した際の混乱による転倒等によって生じたものか、又は第三者からの投石によって生じたものかである。右接触の際に受傷したとすれば、これは状況上避け難いものであり、警察官が故意に暴行を加えたことはない。

5  同8の事実は知らない。

第三証拠《省略》

理由

一  学生約七〇名が昭和四七年九月六日午後一一時四五分頃から神奈川県相模原市所在米軍相模原補給廠西門前を出発し相模原市富士見所在相模原警察署前交差点にかけて無届ジグザグデモを行い、このデモに約六〇〇名の群集が追随したこと、神奈川県警察に所属する警察官である機動隊員約六〇名が翌七日午前零時五分頃に至り右学生集団に対し規制を開始し、これを右群集から引き離して包囲し、その先頭を前記警察署方向に反転させ、学生集団を中に挾んでその両側を警察官が併進する形態(両側併進規制)で、同所から南西に向け道路を直進し、国鉄相模線を越えて相模原市上溝に入り、付近を一周して再び相模線を越え、その先往路と同一の帰路をたどって前記西門前に達し、ここで学生に対する右規制を解除したこと及びこの間の規制距離が約六キロメートルであり、その所要時間が約一時間四〇分であったことは当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によると次の事実が認められる。

1  原告渡辺及び原告矢萩は昭和四七年九月当時学生であり、同月六日午後五時頃前記補給廠正門前に到着し、同補給廠からベトナムに輸送される米軍戦車等の戦闘用車両の搬出について、右搬出に反対し、その有無を監視し、搬出のあったときは即時にこれに抗議しこの阻止活動をとることを目的としたいわゆる全学連の集会に参加した。

2  右集会に参加したところの右原告二名を含む学生約八〇名は、同日午後五時頃から右西門前道路上の緑地帯において前記目的のためテント設営等の準備作業を開始し、同時に午後一一時に至るまでの間、右緑地帯のあった右西門前道路上で、前記車両搬出反対の趣旨の無届デモ行進を合計三回にわたってなした。

3  右学生の内原告渡辺及び原告矢萩を含む約七〇名は同日午後一一時四五分頃神奈川県警察の弾圧に抗議するとして、前記争いのない事実である本件デモ行進を始めた。

4  右デモ行進に参加した学生は大多数がヘルメットを被り、四列縦隊となって前記西門前を出発して蛇行しながら進行して相模原警察署前交差点に入り、同交差点内で二回旋回したところ神奈川県警察機動隊によって規制され西門方向に押し返された。

5  右学生集団はその後米軍補給廠西門方向に進行し、いったん右交差点に先頭を向け前進したが、交差点に至らない所で旋回し、円状を描きながら再度右西門方向に引き返した。前記争いのない事実である本件規制がこの時開始された。

6  右規制にあたった機動隊員は、制服に帯革をしめこれに警棒を吊り下げ、チョッキ型の防護衣を付けその上に出動服を着込み、頭には防護面の付いたヘルメット、腕には指先から肘までの籠手をはめ、半長靴を履き、大部分の隊員は縦一メートル一〇センチ、横六五センチ、重量五ないし六キログラムの大楯を所持していた。

7  右規制にあたった機動隊員は学生集団との最初の接触時において、その先頭部の学生に対しては所携の楯で進路をふさぎその進行を一時停止させ、その先頭を西門方向から相模原警察署方向に反転させ前記両側併進規制のまま進行させた。

8  原告渡辺は右規制の間機動隊員から、相模原警察署前を少し過ぎた所でヘルメットを脱がされ右腕肘の部分をそのヘルメットで一〇回前後打たれ足を足げにされ、更に相模原市上溝に入ってから頭部を警棒で殴打され、因って右腕部打撲傷のほか二針を縫う頭部裂傷の傷害を受けた。

9  原告矢萩は本件規制が開始された際機動隊員からヘルメットを後方に脱がされこれを引っぱられ、そのあご紐によって首を締めつけられ、この間眉間を警棒のようなもので打たれ、更に頭部ないし背部を脱がされたヘルメットで打たれ、その後も顔面を籠手で打たれ、因って加療一〇日間位を要する頭部背部打撲傷、首部擦過傷、頸部裂傷の傷害を負った。

証人池谷、同加藤、同小林一郎及び同小林克己の各証言のうち以上の認定に反する部分を採用できない主要な理由は次のとおりである。甲第一号証は医師本庄修作成による診断書であり、その記載から前記認定の傷害発生の日の後およそ四か月程過ぎた昭和四八年一月九日作成のものではあるが、その内容は原告渡辺の頭部割創(原告渡辺本人尋問の結果によれば前記認定の頭部裂傷をいうものと認められる。)について昭和四七年九月一二日に抜糸を行った旨のものであり、同原告の頭部に負った傷害を証明するものである。又甲第二号証は医師甲子万里子作成の診断書であり、その内容は原告矢萩の額部切傷(原告矢萩本人尋問の結果によれば前記認定の顔面裂傷をいうものと認められる。)について昭和四七年九月八日から同月一六日まで加療を要したことを証明した文書である。右甲第一及び第二号証に右原告二名本人尋問の各結果を総合すると、本件規制中に右原告二名が頭部ないし額部に傷害を負ったものと認定せざるをえないものであるが、右証人四名の各証言によってはこの傷害の発生を合理的に説明できない。すなわち仮に右各証言にあるよう機動隊と学生との最初の接触時における混乱ないし第三者からの投石によって右傷害が発生したとすれば、右傷害の部位程度から推察すると右原告二名がヘルメットを被っていなかったと考えざるをえない。けだし右傷害を負う可能性はヘルメットを着用している者にとってはきわめて小さなものだからである。しかしながら原告渡辺及び原告矢萩本人尋問の各結果によれば同原告らは本件規制の際ヘルメットを付けていたと認定することができるのでありかつ機動隊とデモ隊との接触の際自らヘルメットを脱ぐことは不自然であるのだから、右原告二名の傷害は機動隊員によってヘルメットを脱がされた際に負ったものと考えざるをえず、結局この推認に反した前記証人四名の各証言部分は合理性に乏しいものといわざるをえない。更に、前記暴行に関する右原告ら本人尋問の各結果が不合理不自然で措信できないとする事情も認められない。

三  以上の事実を総合すると、前記各暴行が右学生集団規制のためやむをえなかったものであることを認め得る証拠のない本件にあっては、地方公共団体であることが明らかな被告の公権力行使に当る公務員の警察官がその職務を行うについてその許容される範囲を超えて違法に原告渡辺及び原告矢萩に前記暴行傷害を加えたと認められ、これに基づく慰藉料として各金五万円、弁護士費用として各金五万円が相当と認めるので、被告は右各金額を右原告二名に賠償する責任がある。

証人長友民雄の証言中には、原告因俊郎が前記西門前の集会に参加した旨述べた部分はあるが、更に同原告及び原告木野利広が本件デモに参加し、その主張の暴行傷害を受けたことについては本件全証拠によるも認められない。

四  よって、原告渡辺及び原告矢萩の本訴請求は各金五万円の慰藉料及び各金五万円の弁護士費用とこれに対する不法行為の日である昭和四七年九月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求並びに原告因及び原告木野の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水次郎 裁判官 中村盛雄 高梨雅夫)

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